私たちの身の回りの物質の多くが固体・液体・気体のいずれかの状態に分けることができます。このうち固体だけが容器や袋など他の助けを借りることなく自立して(時には自発的に)形をつくります。大きなものから小さなもの、単純なものから複雑なものまで固体の構造には際限がありませんが、固体の中に分子やイオンのサイズと同程度の隙間が空いている材料も多く知られています。特に、数ナノメートル程度の空隙、すなわち「ナノ空間」(1ナノメートルは1ミリメートルの100万分の1のサイズ)は決して人間の目でとらえることはできませんが、私たちの生活を一変させる可能性を秘めています。例えば、浄水器に使われる活性炭や、ディーゼルエンジンの排ガスの有害物質を分解する触媒として使われるゼオライトには、ナノ空間が多数あり、匂いの基となる物質や有害な成分を引き寄せる性質があります。この現象を「吸着」と呼びます。これらの吸着材料は、原発事故にともなう放射性物質の除去や、宇宙ステーション内の二酸化炭素の排出除去など、用途をさらに広げています。2025年にノーベル化学賞を受賞対象となった金属有機構造体(metal-organic framework; 通称MOF)もナノ空間材料の一つで、その中には気体の吸着に伴い固体の構造がスポンジのように変化するという、これまでの吸着材料では見られない特性を有するものもあります。
活性炭やカーボンナノチューブの表面は六角形に配列した炭素原子ユニットが連なる構造をしています。この表面では電子(パイ(π)電子と呼ばれる)が自由に動いており、プラスの電荷をもった種を強く引き付けて安定化します。これらの材料を電解質が溶けている水溶液中に入れると、ナノ空間内に水が即座に拡散しながら表面に水素イオンから成る吸着層を形成することがわかりました。通常、水はわずかにイオン化(水素イオンと水酸化物イオンに分かれる)しています。炭素の表面には水素イオンが選択的に吸着するため、極度の酸性状態になっていると考えられます。一方、余った水酸化物イオンはナノ空間外の陰イオンと交換しながら外部に拡散するため、ナノ空間外の水溶液の性質は塩基性(アルカリ性)になります。炭素から構成されるナノ空間は実に特異な空間といえます。
ほかにも、ナノ空間でのみ見られる特殊な化学反応や、通常の化学実験ではつくることが困難な極めて圧力の高い状況でのみ見られる状態を簡単につくれるなど、フラスコや試験管内では絶対に見られない現象が多数あります。ですから、固定観念にとらわれず、見えない世界を実験と計算の両方で解明していくことで、これからまだまだ人類が知らない反応や物性が発見される可能性あります。ナノ空間という極めて限られた空間には無限の可能性があるのです。